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くまもとの民話

むかし菊池川にはかっぱがすんでいました。このかっぱは、ときどき近くの村人に悪さして迷惑をかけていました。その頃、山鹿に、おじいさんとおばあさんが二人仲よく暮らしていました。ある晩、おばあさんが便所に行くと、かすれた音が聞こえ、何か妙な気配を感じます。おばあさんは怖くなって家の中に逃げ込みました。

おばあさんはおじいさんに便所で妙なものがのぞいていて怖かったことを話しました。おじいさんは「それはかっぱに違いない。今までどれだけ村人に悪さしたかわからないぞ。今度来たら捕まえてやる」と、おじいさんは怒って言いました。その日から七日目の晩、おじいさんが便所に行くと、また妙な音がして手が伸びてきました。おじいさんは、「この間、おばあさんを脅かしたかっぱに違いない」といって、もっていた小刀で、伸びてきた手をつかみ、すぱっと手首を切り落としてしまいました。

かっぱは、不意に手を切られて、びっくりして川へ逃げこみました。しかし手首を失ったかっぱは泳ぐことができません。かっぱはまたおじいさんの家にひき返してきて、「おじいさん、おばあさん、悪さばかりしてすみませんでした。いままで人間をだましたり、おどかしたりしたけど、今から決してしません。どうか許して手首を返してください。」かっぱは、おじいさんとおばあさんに頭を下げて謝りました。

おじいさんもおばあさんもかっぱが頭をさげてあやまるので、二度とこんな悪さを人にしないならと言って、手首をかっぱに返してあげました。かっぱはよろこんで、「かっぱには、切られた手首でも、ちゃんとつながる立派な軟膏があります。手首をかえしてもらったお礼に、そのつくり方をおしえましょう」といって、おじいさんとおばあさんに軟膏のつくり方を教えました。それが家伝薬のかっぱ軟膏となって山鹿に伝わっています。

むかしむかし城北村(菊鹿町城北)に米原長者という人が住んでいました。米原長者は大変なお金持ちで、田底三千町歩(約三千ヘクタール)、菊池から山鹿までの田んぼを一人で持っていました。長者は、この広い自分の田んぼに一日で田植えを済ますのが、一番の自慢です。ことしもそんな田植えの季節がやってきました。

「おれの威厳にかけても、一日で植えてしまうぞ。」

と、六百人の使用人を大声でしかりとばして頑張らせましたが、済まないうちに夕方になり、日もしずみかけてきました。長者は手に持っていた金の扇で、西の山にしずみかけたお日さまを、

「しずむな。しずむな。」

とまねきかえします。すると、不思議なことにお日さまはぐらっと揺れて、物干竿の高さほど東の空へ後戻りしたのです。米原長者は、

「植えるのは、今だ。いそげ、いそげ。」

と叫んで、田植えを急がせました。しかし、もう少しで田植えも終わりというところで、日は西の山にしずんでいってしまいました。

くやしがった米原長者は怒りだし、蔵の中から油を三千本かつぎ出させ、日岡山の頂上にまき散らし、それに火をつけてしまいました。山が燃えだしたので、あたり一面昼のように明るくなりました。その明るさで、田植えはその日のうちになんとか終わり「今年も、うまくいった。」と長者は得意げにいいました。

その晩、米原長者の屋敷では、働いた大勢の人を集めて、宴会を行いました。ところが、その最中に、日岡山から火の玉が飛び出し、米原長者の屋敷にドシーン。その火は、屋敷や蔵に飛び散って、みるみるうちに燃え広がります。それに気がついたときは、もう遅く、その上みんなが、酔っぱらっていたため、消すこともできず、屋敷も蔵もみんな燃えてしまいました。

「これは、やっぱりお天道様を招きかえしたりなんかした罰だろうな。」

村人たちは、ぶるぶる震えながら焼跡に立っていました。

日岡山は、ハゲ山のまま、今ものその姿をとどめています。米原長者の屋敷跡からは、今でも土台の石や焼けた米が出てきます。

江戸時代も終わりのころ、袋田というところに、甚三という名の腕の良い大工がいました。甚三はいつも「のちの世に立派な彫物を残したいものだ」といって、毎日毎日、八龍宮に祈っていました。ある晩のこと、甚三は龍におそわれる夢を見て目を覚ましました。

「これはきっと神のお告げに違いない」といって、甚三はそれからというもの、目の色を変えて一心に夢の中にあらわれた龍の姿を彫り続けました。

「来る日も来る日も一日中仕事場にこもっている甚三は、日増しに衰えていきました。

そうしてようやく彫り上げられた龍は、八龍宮に運ばれ、本殿の天井に取り付けられました。甚三はこの龍を完成させると、どこかに行ってしまい、消息もわからなくなってしまいました。甚三が居なくなった何年か後、村人たちが八龍宮近くの竹の花淵へ水浴びに行くと、急に暗雲が八龍宮をおおい、恐ろしい天候に急変することがたび重なりました。そのうち誰かれとなく「竹の花淵には大蛇が住んでいる」と噂するようになりました。

ある日、竹の花淵へ釣りに行った人が、あんまり釣れないので、水の中をのぞいてみると、なんと大蛇がとぐろをまいているではありませんか。大蛇は人の気配を感じて、水底深く沈んでいきました。村人たちの間で、この大蛇はどこに住んでいるのかという話でもちきりとなりました。同じ頃八龍宮の床は晴れた日なのに、びっしょり濡れているということが何度かあったので、村人たちは「甚三が彫った竜が八龍宮から抜け出して、竹の花淵に現れるのに違いない」と噂し合い、八龍宮へ行くのを恐れるようになりました。

そこで、村人たちは天井の龍を釘でしっかりと打ち付け、ついでに龍の角を折り、金具の角に取り替え、おはらいを行いました。それから後、そのような出来事は起こらなくなりました。八龍宮は、今でも鹿本町中富に建っていて、本殿の天井には甚三が彫ったといわれる龍の彫りものが残っています。

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