mainphoto

熊本城

■熊本城

加藤清正が佐々成政にかわって肥後半国の領主として入国し、天正十八(1590)年ごろから新城を西に井芹川、南に坪井川と白川が合流する茶臼山に築城しました。
大天守閣は、外観3層、内部6階・地下1階で石垣の上からの高さが約29.5mあります。
小天守閣は、外観2層、内部4階・地下1階で石垣の上からの高さが約19mあります。
現在の天守閣は、明治8年頃に撮影された古写真などをもとに昭和35年(1960)に再建されたものです。

■五郎の首掛石

この石の重さは1800キログラムもあり、怪力伝説の残る横手五郎が首にかけて2キロメート ルの距離を運んだと言い伝えられています。横手町で育ったため横手五郎と呼ばれるが、父は天正十七年(1589年)の天草一揆のとき、加藤清正に一騎打ち をいどみ戦死した武将 木山弾正(きやまだんじょう)と伝えられています。父の仇を取ろうと築城人夫になりすまし清正の命を狙いますが、素性が見破られ石 運びから井戸掘りに変えられて、生き埋めにされたといいます。

■地図石

数寄屋丸の手前にある箱型の石組みは、他の部分とは異なり切石の組み合わせが美しく構成されています。そのため、日本地図・熊本城下町図・熊本城平面図といった諸説が唱えられ、古くから地図石と呼ばれてきました。
現在では、数寄屋丸二階御広間への参入口の装飾であったと考えられています。

■数寄屋丸二階御広間(すきやまるにかいおんひろま)

平成元年9月に復元完成した数寄屋丸二階御広間は、梁間七間(約十三メートル)、桁行十八間 (約三十三メートル)の建物で、茶会・能・連歌の会などが催されていたと考えられています。内部一階は土間、二階には書院造りの座敷があり、南面の壁には 銃眼や石落としがついています。また、西に五階櫓、東に地蔵櫓門を配した、全国の城郭建築の中でも非常に珍しいものです。

■井戸

加藤清正は「文禄・慶長の役」の際、明・朝鮮連合軍を相手に蔚山城では「泥水をすすり、死馬の肉を食らう」という苦しい籠城戦を経験したため、熊本城築城では120以上という数の井戸を掘ったと云われています。

■暗門燈籠

天守閣前千畳敷大広間の下をくぐり抜ける通路に吊るされていた燈籠のひとつで、昼夜百匁(四〇〇グラム)のローソクを灯していたと伝わっています。

■石垣

裾のほうが扇状に勾配が緩やかなため、武者(敵)でも登れるように見えますが、八合目あたりから反り返り、ほとんど垂直になり、引き返すしかありません。そのため「武者返し」(むしゃがえし)と呼ばれています。
この築き方は、年月を経ると石垣に膨らみが出て、崩壊しないように考えられたとか、地盤が軟弱であったため裾のほうを広く緩やかにすることで石垣の座りをよくしたものと云われています。

■櫓(やぐら)

櫓は武器・武具の倉として、戦時には兵の駐屯所としての目的もありました。熊本城には天守閣 を含め、櫓は49ありました。本丸北郭には、御裏五階櫓、南郭には小広間西三階櫓、月見櫓、本丸東三階櫓、平左衛門丸には平左衛門丸五階櫓(現在の宇土 櫓)、数寄屋丸には数寄屋丸五階櫓、西竹の丸には、飯田丸五階櫓、竹の丸五階櫓などがありました。

■飯田丸五階櫓

六棟あったとされる五階櫓のひとつ。加藤清正の重臣の一人「飯田覚兵衛」が預っていた曲輪 (郭)にあることからこの名前がついたと伝えられています。外観3層、内部5階で石垣の上からの高さが約14.3mあります。床面積は503平方メートル で、平成十七年三月に復元完成しました。

■宇土櫓

第三の天守ともいわれる、西南戦争後も焼け残った唯一の慶長年間(1596~1614)の多層櫓です。直線的な破風と望楼に廻縁。外観3層、内部5階・地下1階からなる、国指定重要文化財です。

■本丸御殿

天守閣前から月見台にかけて、部屋数が53室、畳数が1570畳もある本丸御殿が設けられて いました。東向きの構造で八間×二十二間の大広間は、南側に落縁、北西側に入側が設けられていました。その大広間を中心に、松の間、吉野の間、耕作の間な どがあり、大広間の東側には床下の通路から大広間に昇るための式台の間が設けられていました。上記の写真の昭君之間は本丸御殿の中でも一番格式の高い部屋 で、藩主の居間であり、接客の場としても使用されたと考えられています。昭君之間は床の間や違い棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。壁や襖など には中国の前漢の時代の話で、匈奴に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれています。

■大天守

大天守の各階には、鉄砲方詰所、具足方詰所などがあり、実に実践的な部屋割りになっていました。一階の根太を石垣の外に張り出して石垣の矯正とともに、石落としに使用できるようになっていました。

■二様の石垣

右側のゆるやかな石垣が加藤清正時代のもの、少し年代が下がって継ぎ足された事がわかる左側の急勾配の石垣が細川時代のものです。

■長塀

熊本城の内堀とした坪井川に沿うように平御櫓から馬具櫓まで、白黒の美しいコントラスが特徴の城壁です。現存する城郭の中では日本一長く242.44メートルの塀建築遺構は、国指定重要文化財です。特に春の桜の時期は美しく、おすすめです。

kiyomasakun